世界三秒前仮説

偶数日にしか投稿しない

自我 境界線 -荷

気分が良い話でもなければ、面白くもない
ただわたしのこれまでを思いついたままに書き記しているだけ
山も、谷も、結論も、何もない ただ書いただけ
面白いものではないと思いますが、書いています。

 

小さい頃から「あなたのお父さん、まだ首の座らない子供(姉のこと)をベビーベッドに放り投げたのよ」って話を何度も、何度も聞かされてきた。
それを聞かせて、わたしに何を思わせたかったのだろうか。
はたと気づく。わたしはお父さんと二人で出掛けた記憶はあるが、お父さんとお母さんとわたしの3人、またはそこに姉を加えた4人で一緒に過ごした記憶がほとんどない。
いや、あるにはあるが、笑顔の記憶がひとつもない。家族が揃うと、常に誰かしらが怒っている。
お母さんは、父親役をやっているお父さんのことを、見たことがないのかもしれない。

これはお姉ちゃんから聞いた話であるが、お姉ちゃんが大学受験を目前に控えたある冬の日の夜中に、お父さんが何かにすごく怒っていて、癇癪を起こしていたことがあったという。
それを見てお姉ちゃんはお父さんの背中をさすり、「どうしたの?」と訊ねると、お母さん(妻、つまり私の母のこと)が全然愛情を持って接してくれない、という感じのことを言っていたという。
お姉ちゃんは大丈夫だよ、私がいるよ、ととにかくお父さんを抱きしめていたという。お姉ちゃんも、私が知らない所で、家庭内ですごく頑張っていて、つらい思いをして、耐えていたのだと思った。

その話を聞いたのはついこの間のこと。もう10年以上前のことなのに、鮮明に覚えていると言っていた。お姉ちゃんは、「お父さんが家から居なくなったのは、一概にお父さんだけが悪かった訳じゃないと思う」とも語っていた。
確かに、私はお父さんとお母さんがろくに会話しているところを見たことがない。あるとすれば、養育費を払うように直談判に連れられた時だけである。
両親が笑い合っているところは、見た記憶がない。
いやまぁ、それ自体は別に構わないのだけれど(今さら円満な家庭なんて求めていない)、お母さんにも原因があったのかもしれない、という視点は、今までの私には欠けていた。
そもそも、家庭のあり方、両親の関係について考える機会もなかったわけだが。
人間関係は、(もちろん場合によるが)一概に誰が100%悪いというものでもない、相互作用であるということを、大人になって、ようやく知った。
お母さんだけを責める訳でもないが、今となっては、お父さんだけを責める気というにもなれない。
私の記憶の中のお父さんは、夜な夜な暴れていたが、その一方で、私の前では優しくもあった。
お母さんから伝え聞くお父さんの姿といえば、不倫とか、家庭内暴力とか、育った環境が悪かったとか、そんなのばかりだった。思春期を迎える頃には、お父さんに対するネガティヴなイメージはとうに膨れ上がり、ひとつの大きな闇として心に棲みついていた。お父さんは、闇のような存在だった。
そしてお母さんはこの闇の被害者だと認識していた。もちろん、実際被害者だとは思う。でも、お母さんが加害者であったことが果たして一度たりともなかったと言えるのか、今の私に知る術はもうない。

僅かな記憶からお父さんの良い面を探そうとしているのも、ある意味では「死人に口なし」になるのだろう。でも、私はお父さんにちゃんと愛されていたと、記憶の粗探しのような行為だとしても、そう信じていたい。

今、ふと思い出したことがある。
受験が終わった冬に養育費をお願いしに行ったとある日、お母さんが「私が行くと怒るから、あなただけ行ってきて、ここで待ってるから」と、私はひとりでお父さんの元に出向くことになった。
お父さんは開業医をしていて、その診察室に診療後に向かう。
その時、いやずっと、私はあまりそれに乗り気ではなかった。お父さんと喋りたくもなかった。
ひとりでお父さんの元に向かうと、お父さんは、確か嬉しそうにしていたように思う。
大学が決まったと話して、そういえば、お小遣いをくれたかもしれない。記憶は補正されるものだから、もしかしたら違う記憶と混ざっているかも(幼少期より、診察室に出向いて何らかのお願いのダシにされていたことがあるから)
たぶん、本当にたぶん、記憶を辿ると、慶應に受かったと言ったら、すごいねと褒めてくれた、ような気がする。気がする__これも全て私の妄想でしかなくて、そんなことなんてなかったらどうしよう、とも不安になる。勝手に記憶を作っているだけかも。でも、私がひとりでお父さんと対峙している時、お父さんは決して私を邪険には扱わなかった、これも気がするだけだけれど。
当時の私は、前述の通りお父さんのネガティヴなイメージだけを抱いていた。だから、こんな時間早く終わってほしい、お父さんの機嫌を取らなきゃ、お母さんが思っている通りにしなきゃ。とだけ考えていた。私はお母さんの歩兵だった。
お父さんに訊かれたことだけ答えて、急ぎ足で診察室を出てお母さんの待つ車に戻った。そんなように記憶している。

今だったら、私はお父さんになんと声をかけ、何を話しただろうか。
お父さんはもうこの世にいない。
お父さんと喋ることも、本心を聞くことも、本当は私のことをどう思っていたのか知ることも、そんな機会は一生訪れない。
お父さんと、もっと話していればよかった。
あの日、お父さんとの対話を拒絶したのは、他でもない私だ。思考が停止していた。お父さんは学費と生活費を(滞納していた時期もあるが)離婚後も出してくれていた。そのことについては、感謝はしていた。でも悪い人だと思えばそれが楽だった。
これまでお父さんのことを考えなくてよかったのではない、ただ、考えることを放棄していただけかもしれない。
叶うなら、もう一度だけでいいから、お父さんと話したいと、切に思う。今度はちゃんと、自分の意志で、お父さんと会って、話したい。なんでもいいから。
当時の私にその気持ちがあれば、その後日にお父さんが私がいる場で「娘なんてどうでもいい」なんて、言わずに済んだんじゃないか。

これは、自我を持たなかった自分への罰なのかもしれない。

 

お母さんは風水に凝っている部分がある。

お母さんが風水の先生から聞くところによると、お父さんの魂は、天国ではない場所にいるという。

じゃあ、どこにいるんだろう。

私は、死んだら、お父さんに会えるのだろうか。